春になると


「趣味」は何ですか?と聞かれると、いつも自分は大した趣味なんてない人間だなと思ってくちごもるか、ありきたりに読書ですかねなんて答えてきて、「ほんと私は無趣味だわ」と話してたら、娘が「お母さんは、趣味多い方だと思うよ」と言って解説してくれた。
その時、「趣味」と言う言葉の示す範疇が、人と自分はズレているらしいと気が付く。
なんだか、私にはこの手の事が多いのだ。自分の親はこんなささいな、でもとても貴重な事は教えてくれなかった。子供は日常の中で、困った人だね、お母さん!と。母に、自分の見解をちょっとドヤ顔して話してくれる。そうやって私は子供からたくさん教えてもらった。子供はこれが正しいとか、余計な、良かれと思ってとか、これが世の中とか押し付けてこない。単純に事実として伝えてくれた。そしてそういう発見をとてもおもしろがる親なのですね私は。考えてみたら(いや、当然なのかな?)私は生きてきて、一番たくさん会話してきたのは娘達とだね。

去年の夏に、一緒に映画「銀魂」を観たときも、「お母さん、笑ってる所、人とズレてる」と指摘された。だからあんり大きい声で笑うな!と。ほんとにこんな、なんかズレてる母親です。

私は臆病で怖がりのくせに、厭きやすく変化を求めがちで、子育てが楽しかったのは、子供たちがぐんぐん成長して、毎年学年が一つ上がる度に子供の環境も変化し、同じ事は続かない日々だったからだ。春になると、子供の頃からわくわくしてたな、新しい季節だから。
その娘達も既に成人して、次女も4月から社会人。私は娘達に数年前から25歳までにはどんな形でもいいから、家から出て行ってね!と話して来たが、祖母である私の母は、ひどい事いう母親だねと非難する。新入社員の給料で一人暮らしなんかしたら、貯金も出来ないよと。最初は聞き流していたけれど、しつこく繰り返すので、私は母親として、貯金よりもお金で買えない経験を選んで欲しいと言い返したが、なかなか共感されない。
ママ友にも共感されないな。まあ、共感さないことには慣れています。
ただ、本当に限られた給料で現実化すのは厳しいのかなとも思っていたが、長女は会社の勤務先が関西になったので24歳で去年、家を出た。
言霊ってある気がする。口にしているとそれが正しいなら現実は形にしてくれるような。次女の25歳までにはまだ3年あるので、彼女の現実がどうなるか楽しみです。
私は心配症なので、大学卒業とともに出て行け!と言えず準備期間を3年与えるのが母としての弱みであり、司禄星持ちの限界でしょうか。