ブログタイトルについて

昨年から、ずっとアウトプットしないと。
ブログ始めないと、と思いながら、なかなか踏み切れなかったのは、心理的葛藤もありましたが、パソコン問題もあり、技術的になかなか、ひとつひとつの行程が厳しいものがあります。
画面的に読みずらい、見難いという点もあるかと思いますが、
ひとつひとつ、取り組みます。昨日は写真の加工に挑戦しましたが、満足する出来栄えでは無いのですが、今の自分の精一杯です。

ブログタイトルもなかなか、思いつかず、でもせっかちなので、これでよし!と熟考とは言い難いのです。気持ちだけ込めました。「星をめざして」に。

私は50代なので、老眼も進み、加齢もひしひしと感じつつ、
「子丑天中殺」のため、年を取ってからの方が断然生きやすいです。
時間の有限さも感じています。若く迷う時間は過ぎ去り、子供も育て終えたと思っているので、第二の人生感覚かな。責任は果たした、引き続き負うべき責任は忘れないけれど、
残りの自分の人生を楽しんでしまえ!と覚悟を決めたら、今、自分の日常が早いスピードで流れ始めている。

算命学に魅せられたのも、無いものはないという、身も蓋もないようなストレートさに
だと思う。人間は無いものには、意識が行きがちですね。私は母が両手に車騎持ちで、妹が牽牛2個持ちで、自分は車騎も牽牛も持っていない女なので、気働きがないとか、人のために頑張らないとか、怠け者と非難されてきた。確かにそういう部分もありますが。
私から見たら、人のためとか、褒められたいために、何故そこまでやるのか、やり過ぎ感満載のくせに、他者がその頑張りを受け入れないと不満を口にする二人が全く理解出来ず見ていて苛立った、勝手にやってるくせにと。母なんて「私が見本として、これだけして
見せているのに、どうして分からないの!」といつも言ってたな。母は善良な良い人です。でも良い人ほど始末に負えないと毒いっぱいの私は、いつも思っていた。
その軋轢は、算命学で十大主星を学んで解消できた。みんな、それぞれが自分の持って生まれた星を生かして生き抜くしか術はないなと理解出来たから。

十大主星で言えば、私は最大五種類持てるはずの十大主星を偏って三種類しか持っていない。
そのうちの、調舒星と龍高星はすんなり呑み込めましたが、残る二つもある司禄星が難儀
で、学んでいくうちに体感できるようになって来たけれど、まだまだ道半ばかな。
いや、もっと序の口かな。
生きているうちに、自分の持って生まれた星をより良く生かすことを目標に、これからの時間を費やしたいと決めたので、面白みのないタイトルですが、自分の星をめざして行こうと素直な気持ちでつけました。

そのことを、算命学では陽転と言うんですね。
陰転は、若い頃にさんざして、かなり極めていると思うので、中庸のない私は、これからは星のきらめきを求めて、自分の中にあるもので、陰転から陽転へと反転できたらと思っています。自分の「星をめざして」行きます。